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時効援用代理人司法書士

最終返済から約5年が経過していたら、借金が時効の可能性があります。

 
※より詳細は上記画像クリックでPCサイト。



司法書士 伊藤 謙一

司法書士 伊藤 謙一

 昭和52年12月6日生まれ

 平成2年  岐阜市立 茜部小学校卒業
 平成5年  岐阜市立 加納中学校卒業
 平成8年  岐阜県立 羽島高等学校卒業
 平成12年 名城大学 法学部法学科卒業   
 平成14年 司法書士国家資格取得 

 岐阜県司法書士会 第544号
 法務大臣認定番号 第320063号


・岐阜県司法書士会 理事
(平成28年~現在)

・岐阜県ギャンブル等依存症対策協議会委員
(令和2年~)


・日本司法書士政治連盟岐阜会 副会長
(平成28年~31年)

・岐阜県司法書士会岐阜支部 支部長
(平成28年~31年)

・岐阜県司法書士会岐阜支部 副支部長
(平成25年~28年)

・岐阜県司法書士会岐阜支部 理事
(平成17年~24年)


 平成16年にホームページを開設し、信用と実績を重ねてまいりました。ご安心してご相談下さい。
 全国からご依頼を多数頂いており、実績も経験も豊富です。


 現在、全ての事案について、司法書士伊藤が担当として業務にあたっています。


依頼人の声  これまでにお受けした地域  

執務姿勢(ブログ)
当事務所の実績



近影
 HPで使用している画像は、少なくとも7年以上前に撮影したものです。中には10年近く経過している画像も・・・。

 以下が近影です。(令和4年5月時点)

 
 



女性の依頼人も多数です。

活動風景

対外活動等

業務について

 司法書士の伊藤謙一です。平成16年の開業以来、借金問題に情熱をもって取り組んでいます。単に時効援用代理や簡易裁判所の訴訟代理の手続きだけを行うのではなく、依頼人の幸せを考えて、解決方法を導き出します。この思いは開業以来、一貫して変わりがありません。依頼人が幸せにためにアドバイスも差し上げるように心がけています。

 岐阜はもとより、全国でも弁護士や司法書士が運営する借金問題の専門HPが数少なかった頃から当サイトを運営しています。もともと開設した理由は「借金はなんとかなりますよ」というメッセージを発する為と、手続きを知らないで不幸な思いをする方を何とかしたいと思ったからです。時効については誤解も多いため、正しい知識を知っていただく事も使命であると思い、サイトを運営しています。

 当事務所のHPやブログは全て私が文章を書いています。分かりやすく、自分の言葉で伝えられたらという想いからです。当サイトはプロの業者が作成した綺麗なHPではなく、私が作っているので素人感のあふれるHPではあります(笑)しかし、お困りの方が求めているのは綺麗さじゃない、分かりやすい言葉であり、親近感であり、メッセージなんだと。そして、相談をお受けする私の人柄が分かることが重要なんだ、と思っています。

 借金問題は法的な知識はもちろんのこと、相手会社を熟知し、実務上の経験もなければ正しいアドバイスが出来ません。当事務所は、11年以上の豊富な経験と実績があり、この分野に専門特化しています。相手会社の情報や交渉記録や訴訟対応などの情報をデータベース化しています。これは、当事務所の強みです。

 当事務所は個別事案の検討、判例や裁判例や実務の有り方についての研究を行い、質の高い業務を提供しています。少数精鋭に育成したスタッフは私の目の届く数名しかいない為、常に私に依頼人全員を管理できるようになっています。依頼人のたらい回しという事態には決してなりません。  当事務所は、個人の借金の問題であれば、時効援用、簡裁被告事件(訴えられた方の対応)自己破産、個人再生、任意整理、相続放棄など借金問題全般に精通しています。お陰様で開業10年を超え、たくさんのご評価とご依頼をこれまで頂きました。誠にありがとうございます。今後も皆様のお力になれるように尽力させて頂きます。

 以下はアドバイスとなります。

 常に節約の精神を持って無駄をなくして日々生活することが大事です。お金と人の関係を水と植物の関係に例えると、水が少なすぎては植物は枯れます。だからお金はある程度は必要です。しかし植物に水をやりすぎると植物は腐ります。お金がたくさんあっても人が幸せになるとは限りません。

 幸せは本来、生活のささやかな事柄にこそ見出せるものです。「足るを知る」の精神をお持ちいただく事が大事と思います。



~開業20年目を迎えて~

平成16年の開業から、20周年を迎えました。

正直申しまして20年もよく続けてこれたな、と思います。

ライフワークと思って借金問題に携わってきましたが、過去を振り返ることができるくらいの年数になりました。

私が大学生のとき、新聞やニュースで毎日のように多重債務問題を取り上げられ、社会問題化していました。その問題に興味をもち、何かできることはないかと思いました。

それが司法書士になったきっかけです。

どうして弁護士でないのか?という疑問も持たれると思いますが、当時、司法試験制度が大きく変わってしまい、色々と考えたうえで司法書士の国家試験を選択してそのまま今に至ります。

過払い金請求の案件はなくなりましたが、もともとそれを目的として手掛けてきた仕事ではありません。「借金問題」は資本主義社会のもとでは無くなりません。

開業当時から今も変わらずHPに「誠実で安心の法的サービスの提供」をモットーに掲げています。

私に出会えてよかった、と思っていただけるように、ただ債務整理をするのではなく様々な観点からアドバイスをすることを心掛けてきました。時には多くの時間を相談者や依頼人との会話に充ててきました。
これまで依頼人からいただく、「ありがとう」のお声に支えられてきました。
それがなかったら、今日までやっていないと思います。

今、私が司法書士として在るのは依頼人のお陰です。
ありがとうございます。



~開業10年目を迎えて~ 


私が司法書士国家試験に合格したのは平成14年。

任意整理や過払い金を爆発的に全国の弁護士や司法書士が扱うようになる前夜でした。
まだ、弁護士や司法書士も任意整理や過払い金の請求を敬遠するという風潮すらありました。

勘違いされることもありますが、私は過払い金があるからこの分野に足を踏み入れたわけではありません。
試験に合格した時は「過払い」という言葉すら知らなかったのです。


多重債務の問題は新聞でも多く報じられていました。

困っている方が凄まじいほどいる事は知っていました。私の能力はたかが知れていますが、その少ない能力でも非常に喜ばれる業務であるということから足を踏み入れた分野でした。


仕事を始めたものの、最高裁で過払い金の問題が確定しておらず、取引履歴もすんなり開示してもらえる状況ではありませんでした。今では当たり前のようにもらえる取引履歴ですが、当時は「そんなもん3年分しかないよ」という理屈を毎回、論破しなければなりませんでした。取引履歴を開示させるために貸金業者の支店に直接談判にいくということもありました。


取引履歴を計算してみたはいいが、最高裁で明確な判断がなかったので引き直し計算の結果を相手は認めません。そこでまた論破しなければなりません。過払い金どころか債務の減額自体にも「何言ってんだ!!」と抵抗してくる有様でした。

貸金業者を論破しなければなりませんので、仲間の司法書士と集まり、判例や裁判例、事例の研究もしていました。全国の研修会に飛び回り、地元の研修会の講師をしたり、この本がいいとなれば買い漁ったりと。


貸金業者の抵抗もそれなりに強かったです。
街金も多く残っていました。「先生、夜も歩くことあるんだろ」と、意味深に脅されたこともあります。
実際は何もされませんでしたがね。右翼の方からもお電話で怒鳴られたことがあります。

今でこそ一般的な業務となりましたが、当時は、「毎回、毎回これだけ言い合いをしなければいけないとなると他の法律家は敬遠もしたくなる分野だな」、と言う感じでした。

実際に体調を崩して、片目が見えなくなったことも。
医者の診断ではストレスだということでした。



今でこそ、「任意整理」「過払い請求」がしたい、とはっきりご相談者もおっしゃられますが、当時は依頼者も深刻な表情で「破産をしたいのですが・・・」という入り方で相談に来られる方が多かったです。

皆さん、債務整理=破産と思われており、「多重債務問題」と呼ばれる言葉が全盛でした。

貸金業者のお金の貸し方も無茶苦茶でしたが、取り立ても厳しいものでした。
相談も非常にシビアな内容が多かったです。



この債務整理専門サイトも開業とほぼ同時に手作りで立ち上げました。

当時はHPを持っている弁護士や司法書士は全国的にも少数でした。

現在も業者に依頼せずに素人の私がコツコツとHPを更新しています。今では逆に手作りのHPが珍しくなっています(笑)まぁ、これはこれで特色と呼べるかもね。

HPすら珍しかったので専門のサイトはより珍しかったです。自分の人となりを知ってもらう方が安心して頂けるだろうと、ブログも始めました。

相談は有料が当たり前の状況の中、「無料相談」を大きく打ち出しました。
当時は無料相談は不当誘致と呼ばれかねない状況だったので、実験的だったと思います。

そのような甲斐もあり、わずか1ページしかない素人HPに相談者が殺到しました。



遠方から来られた相談者のために私が駅まで車でお迎えに上がったことも、
ご相談者と名古屋で待ち合わせをして、お金がないというので一緒にご飯を食べたことも、
クリスマスに雪のちらつく中、来所頂いて、ほっとした顔で帰られたことも、
刑務所帰りの依頼人が行方不明になり、何か月も探したことも
不幸な生い立ちの方の相談内容に心痛めたことも、

今では、懐かしい想い出です。

そこには数えきれないほどのドラマがありました。
言えない位の話もたくさんあります。



一つの時代を全速力で駆け抜けてきたという感があります。

今後は単純に過払い金で債務が無くなる、お金が戻るということは確実になくなっていきます。
多重債務と呼べるほど借入件数が多い方もほとんどいません。
そのような意味でも、この問題自体が区切りと呼べる段階に入っています。


ただ、「借金の問題」が無くなることは絶対にありません。

「多重債務問題」から形や姿を変えて「借金問題」として市民の影になっています。
初心を忘れず、司法書士の職業人生を終えるその時まで、今後ともこの問題にライフワークとして取り組んでいこうと思っています。


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